日本の動物愛護#1 日本の動物観

動物愛護の思想

動物に対する考え方は、千差万別いろいろあります。
ヘブライ思想のように人間が絶対的存在であり、人と動物とは別の生命体であるという考え方もあれば、ヴィーガニズムのように、人間は肉を食べないべきだとする考え方もあります。

動物愛護の考え方は、大きく2つに大別できます。

  1. 動物の福祉(アニマル・ウェルフェア)
    動物を利用することは全面否定しないが、動物に対しての気配りと、
    生活の質(QOL)を維持することが必要という考え方。
  2. 動物の権利(アニマル・ライツ)
    動物の権利は人間と同等であるとして、
    人による動物の利用に否定的な考え方

どちらかが正しいとか正しくないとかはありません!

 

動物観

 「動物観」とは、動物たちをどういう存在として捉えているのか、
人と動物とはどういう関係にあると考えているのかといった動物に対する認識や態度のことを言います。
この動物観は、時代や文化、各個人によって違います。

 

 古代の人々は動物から身を守る必要があったので、動物は食糧であるとともに、
脅威をもたらす存在でもありました。また嵐や雷、洪水などの自然現象も脅威を与えるものでした。だから、人々は、生物、無機物を問わず、この世に存在するすべてのものに霊が宿っていると考えていました。(アニミズム
言い換えれば、太陽も山も木も動物も神だったのです。

 

それが変わったのは、ヨーロッパに一神教が普及していからです。
ひとつの神のみを信仰するキリスト教イスラム教では、この世にあるすべてのものは神が人のために創ったものとされました。
動物も人のために神が創ったものであり、人の支配下において利用するという考え方が定着しました。
利用目的によって家畜の品種改良を的確に行ったり、動物の飼育技術が進んでいったのは、利用するために管理するという発想からです。
西欧では、人のために動物を利用するのは許されるという考え方です。

 

一方、日本では一神教が普及せず、八百万の神として、自然物や自然現象、思考、、災い、人物、創造主、王権などを神格化しました。
動物も神的存在であり続けました。
また、日本は仏教の影響を強く受けました。
仏教には、業によって人が動物に生まれ変わったり、動物が人に生まれ変わったりするという輪廻転生の思想があったため、動物を殺すことを嫌いました。また、動物に人が手を加えることも嫌いました。

このため日本では、鳥や魚の品種改良はされましたが、哺乳類の品種改良はまったくといっていいほど行われませんでした。動物は基本的に自由であり、それが望ましいと日本人は考えているのです。
何かを強いることなく「あるがまま」の状態とかかわるものという動物観が日本人の根底にはありますが、それが動物を愛でる文化を発達させ、愛情を注ぐ対象としてペットを捉えるようになった理由であると考えられます。

 

次回、日本の動物の歴史に続く