日本の動物愛護#2 日本の動物愛護の歴史(戦前)

昨日の続きです。

昨日は日本の動物観について書きましたが、
今回は日本が今までどのような動物愛護の歴史を歩んできたのか、
書いていこうと思います。

日本の動物愛護の歴史


天武の勅令

日本で初めて肉食禁止令が出たのは、675年に天武天皇が出した「天武の勅令」でした。

この天武の勅令は、馬・牛・犬・鶏・猿の肉食を禁止しました。
これは、当時耕作時期に狩猟を行い、田畑を荒らす動物を殺して豊穣を祈願したり、雨乞いのために牛馬を生贄にしたりしていました。
天武天皇はこうした行為が野蛮に見えたのかもしれません。
また、天皇制国家として、古い民間信仰を駆逐したかったという政治的思惑もあったと考えられます。

 

生類憐みの令

日本の動物愛護の歴史で、皆さんがすぐに思いつくのが、
犬公方と言われた江戸幕府第5代将軍の徳川綱吉が出した「生類憐みの令」ではないでしょうか?


生類憐みの令は徳川綱吉が行った政策の1つで、は貞享2年(1685年)7月14日から20年間にわたり100回以上も発令されました。
極端な動物愛護の法律というイメージがありますが、実際は捨て子や病人、高齢者などとともに、動物も保護するという法律です
生類憐みの令の過激さは年々増していき、魚や蚊に至るまで保護されました
この法律に違反すると、最悪の場合処刑になるなど、かなり厳しい罪に問われることになりました。

この法律は、綱吉の次の将軍である家宣の時代に廃止されます。

 

近代日本の動物愛護運動

日本における近代的な動物愛護運動は明治35年(1902年)、キリスト教の牧師、広井辰太郎が東京に動物虐待防止会を作ったことに始まります。

広井辰太郎は東京の街を行く牛馬が残酷に扱われているのを見て心を痛め、動物虐待防止会を設立し、道路に牛馬の給水槽を作ったり、「あはれみ」という機関誌を発行して、動物愛護の精神の普及に努めるなどして、動物愛護活動を行いました。

動物虐待防止会は、明治41年(1908年)に動物愛護会に変更しました。

 

その後大正4年(1915年)に、旧5000円札肖像画だった新渡戸稲造の奥様で、
アメリカ人の新渡戸万里(マリー・エルキントン)さんやアメリカ大使館付武官であるバーネット大佐の奥様が中心となって日本人道会が発足しました。

 

しかし、動物愛護活動の対象がウシやウマなどの使役動物であり、日本にはもともとイギリスなどに比べてひどい虐待などがなかったことや、戦争が始まったこともあって、動物の愛護についての一般の人々の関心が高まらず、運動は衰退しました。

 

第二次世界大戦後における日本の動物愛護運動は、昭和23年(1948年)、ガスコイン駐日イギリス大使夫人などにより、社団法人日本動物愛護協会(後の、財団法人日本動物愛護協会)が設立されたことに始まります。
その後、社団法人日本動物福祉協会、社団法人日本愛玩動物協会(後の、公益社団法人日本愛玩動物協会)、社団法人日本動物保護管理協会などが次々と設立されました。

 

次回:戦後の動物愛護に続く