山口最盛期の政治と経済の中心地 ー大内館跡ー
JR山口の上山口駅からほど近い住宅地。
「龍福寺」
こことほぼ同じ場所に、周防国の守護職・大内家の館がありました。
大内家の歴代当主は、ここで政務をとり、
約200年もの間、西日本の政治と経済の中心となりました。
この大内家が守護職をとっていた時代が、
西の京都と言われた山口の最盛期です。
龍福寺
龍福寺は、建永元年(1206年)大内満盛が創建した臨済宗の寺で、もともと白石の地にあって、宝珠山瑞雲寺と称していました。
延元元年(1336年)大内弘直が再建して弘直の菩提寺となりました。
のち、享徳3年(1454年)大内教弘が雪心和尚を迎え中興開山として曹洞宗になり、
寺号も瑞雲山龍福寺と改めました。
その後、大内義隆が後奈良天皇に奏請して勅願寺として官符を請うて重建しましたが、
天文20年(1551年)の乱で焼失しました。
その後弘治3年(1557年)毛利隆元は大内義隆の菩提寺として、龍福寺を大内館跡に再興しました。
大内家の史跡
龍福寺は前述の通り、大内館があった場所であり、
なので、龍福寺には大内家の歴史がたくさん残っています。
龍福寺の正面から入ってすぐのところ。
左側に大内義隆公の供養塔が静かにたっています。
さらに先に進み、本堂の左側には、
龍福寺資料館があります。
資料館の入り口では、大内義隆公のお父さん
大内義興公の像が迎えてくれます。
資料館は200円で入場でき、主に大内家の歴史を学ぶことができます。
発掘された池泉
龍福寺の右側には、小さな池泉庭園があります。
この池泉庭園は大内家がここに館を構えていたころのもので、
平成の発掘調査でその存在が明らかになりました。
現存する中世庭園は、後世の改修によって元の姿を留めていない例が多いのに対し、
大内館跡のような発掘された庭園は、当時の庭園様式をうかがい知ることができ、
極めて重要な遺跡です。
また、池のそばからは石組井戸も発掘されています。
龍福寺は、山口の歴史、とりわけ大内文化を学ぶ上で重要な場所となっております。
山口に訪れた際は、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか!
所在地:山口市大殿大路119番地
資料館開館時間:9:00~17:00
入館料:高校生以上200円、小・中学生150円
休館日:年中無休
お問い合わせ:龍福寺 TEL:083-922-1009
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