幼い天皇が眠る場所~赤間神宮~
下関市の唐戸市場から少し歩いた場所に、赤い竜宮城にも似た建物ががあります。
赤間神宮といい、幼くして壇ノ浦の戦いで入水された安徳天皇を祭神とする神宮です。
ここには、さまざまな歴史的資料があります。
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安徳天皇について
安徳天皇は、日本の天皇の中で最も短命だった天皇として知られています。
安徳天皇は、前天皇の高倉天皇と平清盛の娘・徳子の子です。
当時は外戚*1が大きな力を持っており、
その中でも平清盛が絶大な力を持っていました。
平清盛は天皇の祖父となることで、さらなる権力を得ようとしました。
そんな平清盛の意向もあって、安徳天皇は幼くして即位しました。
しかし、祖父同士である平清盛と後白河法皇の争いに巻き込まれ、
まもなくして源義仲(木曽義仲)が入京し、平家が西へ逃れると、
安徳天皇も平家一門に連れられて、三種の神器とともに都落ちします。
その後平家は、一の谷・屋島と敗北し、最後の決戦となった壇ノ浦の戦いが
始まります。
壇ノ浦の戦いでは、最初こそ平家優勢でしたが、次第に戦況が悪化し、
敗色濃厚となります。
安徳天皇は、祖母である二位尼(平時子)に抱き上げられ、
「波の下にも都がございます」と慰められながら、
三種の神器とともに、潮流の激しい関門海峡に身を投げました。*2
安徳天皇は、数え年8歳で亡くなりました。
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平家一門の墓(七盛塚)
言い伝えでは源平壇ノ浦の合戦で平家が滅亡して以来、
関門海峡で海難事故が頻発し、平家の怨霊が騒ぎ出したためと恐れられていました。
下関近辺に散在していた平家の墓標をこの地に集約して1600年ごろに建てられてた、
平家一門の供養碑で、赤間神宮境内にあります。
引用元リンク:
そばには正岡子規の弟子である高浜虚子の句があります。
「七盛の 墓包み降る 椎の露」
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怪談「耳なし芳一」
日本昔ばなしの1つで、小泉八雲の怪談でも有名な「耳なし芳一」
その舞台となっているのが、この赤間神宮と言われています。