春の錦帯橋~桜と錦帯橋が織りなす絶景~
今日は私の地元、山口県岩国市の言わずと知れた観光名所「錦帯橋」をご紹介します!
錦帯橋とは
岩国市の錦川に架かる錦帯橋は、日本三名橋の1つで木造五連のアーチ橋です。
錦帯橋のような構造の橋は、世界的にも珍しく、世界遺産を目指しています。
錦帯橋がなぜこのような形をしているか、
それは、清流錦川にあります。
岩国市は、関ヶ原の戦いのあと、吉川家の所領となりました。
その際、岩国の城下町は錦川によって2分されている状態になりました。
当時は船で錦川を渡っており、大雨が降ると川を渡ることができませんでした。
これは岩国で政治を行う上で大変困ったことでした。
錦帯橋を架ける前にも何度か橋を架けようとしたことはあったようです。
しかし、錦川の約200mという川幅と、錦川の急激な流れに橋が耐えられず、
度々橋が流されました。
岩国では、流されない橋を架けることが悲願となっていました。
岩国藩5代藩主吉川広嘉という人が、流れない橋の研究をします。
家臣に模型を作らせたり、藩内外の橋を研究させたりしていました。
あるとき、広嘉の病気を治すために訪れた中国の僧侶が、中国の西湖の話をし、
「西湖志」という本を取り寄せます。
そこに5つの小島にかかる橋が描かれており、そこから錦帯橋の構造を思いついたと
言われています。
そして、1673年に建設がはじまりました。1673年に流れない橋が完成しましたが、
翌年に流出してしまいます。
岩国では、本当に流れない橋の実現のために様々な改良を加えられ、
年内には再建されました。
錦帯橋は、何度か修理を繰り返しながら、流れない橋を実現していきます。
錦帯橋は1674年の再建以来、276年間流出することなく架かっていました。
しかし、錦帯橋は1950年の台風で流出してしまいます。
その際、コンクリートの橋で再建する案も出されましたが、
地元の強い要望で、原型での復旧を実現させます。
その後、2001年に架け替えが行われて、現在に至ります。
錦帯橋は昔から地元住民に愛されている橋なのです。
錦帯橋の四季
錦帯橋は、春には桜が満開になり、夏には鵜飼いと花火、秋には紅葉、冬には雪景色と
四季折々の姿を楽しむことができます。
錦帯橋の春
錦帯橋の春は、桜が満開になります。
錦帯橋では、多くの桜が咲き誇ります。
桜と錦帯橋が織りなす絶景はインスタ映え間違いなしです!
夜には桜のライトアップがされるので、夜桜も楽しむことができます!
ぜひ錦帯橋へお越しください!
錦帯橋と桜の写真
参考資料
防御力最強の昆虫~カイガラムシ~
冬の間によく目にするカイガラムシ。
ほぼすべての植物の害虫で、植物の茎や葉、果実、ときには根にまで取りついて、
樹液や果汁を吸いまくります。
さらには、カイガラムシの排泄物にすす病菌がつき、すす病になってしまうと、
果実や葉が真っ黒になってしまい、商品価値がなくなったり、
植物の光合成を阻害してしまいます。
日本に約12科400種が発見されています。
カイガラムシはもともと熱帯地方の昆虫ですが、
現在では北極と南極を除く地球上のすべての地域に存在しています。
厄介な理由
カイガラムシが厄介な理由は、その防除の難しさにあります。
代表的なカイガラムシであるマルカイガラムシ科のカイガラムシは、
脱皮殻と排泄物(分泌物)とで体を覆って樹脂様のカイガラに変え、
自らの住まいとします。
このカイガラを身にまとっているカイガラムシは、
殺虫剤で殺すことがとても難しいです。
また、単為生殖ができる種もいますし、
メスの下部から幼虫がふ化幼虫が大量に現れます。
放置すると短期間で植物がカイガラムシで覆いつくされます。
防除する時期
前述の通り、カイガラムシはカイガラを被ってしまうと殺すのが難しいです。
なので、まだカイガラを被っていない幼虫がなによりもねらい目なのです!
しかもできれば、ふ化直後がいいです!
カイガラムシのふ化時期はだいたい春先から初夏です。
これからの時期がカイガラムシ防除の重要な時期なのです!
カイガラムシのふ化の時期は種類によって違うので、
以下の本を参考にしてください!
カイガラムシに効く殺虫剤
カイガラムシに効く殺虫剤には、有機リン系、カーバメート系、ネオニコチノイド系、
IGL剤、マシン油乳剤などがあります。
また、殺菌剤ですが、石灰硫黄合剤もカイガラムシに効果があります。
しかし、これら殺虫剤を多量に使用すると、カイガラムシ以外の昆虫などに
影響を与えるので、さまざまな防除方法を組み合わせて防除するのがいいです。
カイガラムシを抑える有効な方法
- コモ巻き
カイガラムシは越冬するときに木のすき間など
狭く暗いところに集まる習性があります。
この習性を利用して、コモや米袋、肥料の空き袋などを
秋に太枝に巻き付けておきます。
すると、春ごろにはカイガラムシの幼虫や卵がコモの中に集まります。
コモは焼却します。
この方法は、昔から行われている方法で、ハダニも一緒に殺すことができます。 - 粘着トラップ
木に粘着トラップを設置して、カイガラムシの幼虫が捕獲されれば、
殺虫剤をまくという方法です。
前述の通り、カイガラムシは幼虫を狙うのが防除のコツです。
しかし、カイガラムシの幼虫が出てくる時期を狙い撃ちするのは、
かなり大変です。
粘着トラップを設置して、毎日トラップを交換していれば、
1日以内にふ化した幼虫の数がわかるので、
最盛期が予測できるという方法です。
粘着トラップは、市販のものもありますし、
両面テープを使って自作することも可能です。
カイガラムシの天敵
カイガラムシの天敵は、規制バチの仲間が知られています。
例えば、クワコナガイガラムシに対しては、
クワコナカイガラヤドリコバチがいます。
これは、かつて生物農薬として登録されていましたが、
販売中止してしまいました。
また、カンキツの害虫であるイセリアカイガラムシに対しては、
べダリアテントウムシが有名です。
ほかにも、カイガラムシには天敵が多くいます。
カイガラムシは、かなり厄介な害虫ですが、
さまざまな防除方法を組み合わせれば、
防除可能な害虫です。
しっかり対策しましょう!
参考文献
今回参考にしたのは、「カイガラムシ」(農文協)
という本です。
カイガラムシの生態や防除方法など、かなり詳しく書かれているので、
果樹や茶を栽培するときは、ぜひ持っていたい本です。
幼い天皇が眠る場所~赤間神宮~
下関市の唐戸市場から少し歩いた場所に、赤い竜宮城にも似た建物ががあります。
赤間神宮といい、幼くして壇ノ浦の戦いで入水された安徳天皇を祭神とする神宮です。
ここには、さまざまな歴史的資料があります。
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安徳天皇について
安徳天皇は、日本の天皇の中で最も短命だった天皇として知られています。
安徳天皇は、前天皇の高倉天皇と平清盛の娘・徳子の子です。
当時は外戚*1が大きな力を持っており、
その中でも平清盛が絶大な力を持っていました。
平清盛は天皇の祖父となることで、さらなる権力を得ようとしました。
そんな平清盛の意向もあって、安徳天皇は幼くして即位しました。
しかし、祖父同士である平清盛と後白河法皇の争いに巻き込まれ、
まもなくして源義仲(木曽義仲)が入京し、平家が西へ逃れると、
安徳天皇も平家一門に連れられて、三種の神器とともに都落ちします。
その後平家は、一の谷・屋島と敗北し、最後の決戦となった壇ノ浦の戦いが
始まります。
壇ノ浦の戦いでは、最初こそ平家優勢でしたが、次第に戦況が悪化し、
敗色濃厚となります。
安徳天皇は、祖母である二位尼(平時子)に抱き上げられ、
「波の下にも都がございます」と慰められながら、
三種の神器とともに、潮流の激しい関門海峡に身を投げました。*2
安徳天皇は、数え年8歳で亡くなりました。
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平家一門の墓(七盛塚)
言い伝えでは源平壇ノ浦の合戦で平家が滅亡して以来、
関門海峡で海難事故が頻発し、平家の怨霊が騒ぎ出したためと恐れられていました。
下関近辺に散在していた平家の墓標をこの地に集約して1600年ごろに建てられてた、
平家一門の供養碑で、赤間神宮境内にあります。
引用元リンク:
そばには正岡子規の弟子である高浜虚子の句があります。
「七盛の 墓包み降る 椎の露」
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怪談「耳なし芳一」
日本昔ばなしの1つで、小泉八雲の怪談でも有名な「耳なし芳一」
その舞台となっているのが、この赤間神宮と言われています。
昔話+殺人事件~おもしろい本~
ぶどうの春
春、暖かくなり、植物の新芽が出てきました。
我が家のぶどうたちも、新芽が大きくなりました!
これからが楽しみです。
今年はぶどう栽培2年目です。